恋愛成就のメールテクニック
RSS

イタリア旅行記 その5/11 3日目 ーーベニス訪問ーー

イタリア サンマルコ広場 25947042837

イタリア旅行3日目は水の都ベニスを訪問。ベニスの街の中心へ観光バスが乗り付けるのは難しいようだ。観光バスは街外れにある海沿いの観光バス駐車場まで。そこからは水上バスに乗り20分かけて街の中心となるサンマルコ広場へ。イタリア 水上ボート DSC_2115

観光の中心地サンマルコ広場付近はどこに行こうとしても人、人、人。観光客だらけ。広場にある教会の塔に登るにも教会に入るのも長い行列。広場の奥には時計塔がある。500年以上前に作られている。その上にブロンズの鐘と二体のムーア人像がある。この像が動くんだよね。毎時この二つの像が鐘を叩いて時刻を告げる。その下には、羽の生えたライオンの像。この羽の生えたライオンはヴェネツィア共和国とその守護神聖マルコのシンボル。その下にマリア様。うーん、なんと言っていいのか・・・・この辺が北イタリアの自治魂と言うのでしょうか。普通マリア様が上になるよね。

この時計の下のアーケードからショッピング街が続く。20分ぐらい離れたカナル・グランデにかかる大理石の橋リアルト橋まで観光客で賑わっていた。
イタリア リアルと橋から 無題(写真←リアルト橋からの眺め)

ベニス観光といえば、ゴンドラだ。このツアーにもゴンドラ乗船体験がついていた。ゴンドラは今や全くの観光目的。ツアーにはゴンドラ遊覧体験がついていた。一隻あたり30分乗船で80ユーロ。6人乗り。6人で割り勘となれば14ユーロ弱。1600円ぐらいで乗れる。ツアーの人たちと一緒に乗船。お子様連れで奥さんがベトナム人の夫婦3人と一人旅3人の6人で一緒にゴンドラに乗ることになった。

住宅地に細い路地のように掘削した運河をゴンドラに乗って、まったりまったりと通り過ぎていく。昔はゴンドラが交通手段として重要な役割を果たしていたことを肌で感じることができる。天気は快晴。気分は最高。ゴンドラで船乗りがカントォーネを歌ってくれるとくれると一層盛り上がるのだけど。そこまでは料金に入ってなかった。気分が向いてきたのだろうか、一緒に乗った子連れ夫婦のお子様が代わりに歌を歌い始めた。
イタリア ゴンドラ乗船 DSC_2121 イタリア ゴンドラ DSC_2129

ゴンドラ乗船後は自由時間。昼食も自分たちで勝手に食べろと言う。一人でHIS駐在スタッフのイチ押しというイカ墨パスタで有名なレストラン「Trattoria Alla Rivetta」へ行ってみた。ベネチアではイカ墨スパゲッティが一番美味しいお店だとあった。広場に隣接する博物館横の路地奥にある。ゴンドラの船乗りがよく利用するお店。窓にかけられたメニューを見ていたら、中から中年のおじさんが出てきて、中へ入れ入れとの仕草。日本語のメニューも用意されていた。

イカ墨スパゲティを注文した。期待が高かったのだが、実際の味はというと・・まあまあというレベル。店の雰囲気が古いなりにウィエター役のおじさんとともに感じが良かった。イタリアは食事が美味しいと聞いて期待していた。しかし、日本人向けに味付けされているのだろうか、都内のレストランのイタリア料理店の方が美味しいんじゃないかとも思う。

イタリア旅行記 その4/11  3日目  ーーベローナーー

前回の答えは、①中国語、でした。
教授は簡単という言葉を使うのが適切かどうかはわからないがと前置きしつつ、学びやすいというのであれば、論理的な言葉としては中国語だという答えだった。動詞が過去形や過去分詞に変化するようなことがない。名詞が男性とか女性とかの区別がない。(中国語に過去形がないということではない。動詞の後に”了”をつければ過去になる。あるいは昨夜とか明日という言葉をつければ、動詞は変えなくても過去形や未来形になる。時制に応じて動詞が変化しないのは確かに学びやすい。)

まぁー、確かにそうだよね。今回イタリアに行くにあたり、イタリア語もちょっと勉強した。スペイン語と同じように動詞の変化を覚えるのが大変。動詞は人称と単複で変わる。つまり、1・2・3人称の単数形、その複数形と現在形だけで6変化。これに複合過去に単純過去,あとは未来形と条件法と1つの動詞について50通り以上の活用があるようだ。まぁー、それを全部覚えなくて良いし、かつ変化の形も決まっているのでそれほど大変ではないという意見もある。それでも30パターンぐらいの変化は覚えなくてはいけない。一つの語学に慣れ親しむにはそれなりの努力が必要です。

さて、ミラノ市内の観光は午前中で終わり。団体ツアーでは路面電車に乗って市内を見て回ったり、スカラ座の建物の中をじっくり見てまわったりなんて時間はまったくない。短期間で観光名所をグルグル回る。

昼食後は、ロミオとジュリエットの舞台となったベローナへ。ベローナには中世の街並みが残っていた。観光客も多かった。アリーナと呼ばれる円形闘技場はローマのコロッセオよりも完全な形で残っている。そして、2000年経った今でもまだ実際に使われている。すごいね。夏はオペラやバレーの会場として6月カラ8月にかけてはほぼ連日何らかの行事が開催されているようだ。
ベローナへ来る観光客のお目当てはジュリエットの家だ。愛をささやいたとされるベランダが面している中庭は観光客だらけ。小説はあまり好きでない私は、ジュリエットの家よりも市街地を囲む城壁がそのまま残されているのをみて感動しました。やはり、中世の街は壁で囲まれていたんだと。
  
(上から順に、ベローナの城壁。広場でくつろぐ人たち。ジュリエットの家のベランダと中庭。ベランダにいる女性は単なる観光客。)

とまぁーー旅行記で言うとこの程度の感想になるけど、ふと、なんでまたシェイクスピアがこのイタリアの一都市の恋愛物語を書きたのだろうと思ってしまった。そして調べてわかったこと。
① ロミオとジュリエットには、ネタ本があった。シェイクスピアはそれを戯曲化した。恋愛物語の、ストーリを作ったというわけではなかった。そのネタ本の大元はイタリアで書かれていた。
② そのネタ本の作者は、ロメオとジュリエットの話は本当にあった話と主張していた。一方で、創作話であるという見方もある。その立場を取る専門家の間でも、当時似たような話は何件かあったという見解である。
③ というのも、13~14世紀頃の北イタリアは、教皇派(ローマ教皇庁)と皇帝派(神聖ローマ帝国)が地域の支配権を巡って争いが絶えなかった。キリスト教異端派が多かった。この異端派は正統の教皇派から迫害を受けた。そこで当時の神聖ローマ帝国側についた。
④ ベローナでは皇帝派が権力を握っていた。が、14世紀にローマ教皇(グレゴリウス9世)が神聖ローマ皇帝(フリードリヒ2世)を反キリスト教的として破門してからは、皇帝派と教皇派の争いが激化した。同じ派の中でも派閥争いがあってもうぐちゃぐちゃ。自分の家は自分で守るしかなくなって、家々が要塞化したようです。でもって、ロミオの家は皇帝派、ジュリエットの家は教皇派。
⑤ そういった政争を背景として、一時の平和を求めて権力者の家どうしによる政略結婚が行われる。そんな中でロミオとジュリエットのような恋愛悲劇が実際には何件か起こっていたようです。

うーん、ロミオとジュリエットは本当にあった話かもしれないとわかると、もう一度ロミオとジュリエットの映画見たくなってきた。実際にあった小説にもないような意外な話を見聞きするのは好きなんです。

イタリア旅行記 その3/11 2日目 ― ―ミラノ観光― ―




イタリア旅行2日目は、午前中がローマに比肩する経済力を持つ北イタリアの都市ミラノの観光で午後はロミオとジュリエットの舞台としておなじみのベローナ観光が組まれている。ホテルを8時に出て、最初の観光地ミラノ市街へ。

ミラノでの観光といったらスフォルツェスコ城とドォーモ、オペラのスカラ座(写真右→)

それにヴィクトリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(簡単に言うと商店街を覆うアーケードです)。イタリアの大都市にはこのドォーモが必ずあります。NHKのドーモ君はドォーモとは全く関係ありません。日本語では大聖堂と訳されてますね。ん?大聖堂?教会とどう違うの?ある地域で一番偉い聖職者が司教で、その司教が居る教会が大聖堂のようです。えーと、カトリック教会には神父さんがいて、この人たちを率いているのが司教です。で、司教がいるドォーモは教皇が絶大なる権力を持っていた中世は当然のことながら権威の象徴として仰々しく造られたわけです。そこへ後世になると観光客が押しかけるので、ハイ並んで並んでとなる。入場券を手に入れるのにまず整理券を入手する必要がある。ツアー旅行のメリットの一つは、大人気の観光名所を訪問する場合、現地ガイドが事前に手配しておくため入場チケットを並ばずに手に入れることができることです。

ところが、今回のツアーではしょっぱなから連絡不十分による手違いがありました。現地ガイドは各人が入場券をお買い求めよと言う。通常の入場券売り場だとチケットを購入するために並んでいるだけで見学時間がなくなる。並ばずに変える方法がある。隣接している博物館側でも共通入場チケットが購入できるので博物館側で買えと言う。ツアー客全員で博物館側のチケット売り場へ押しかけた。初めの5~6人程は難なくチケットを購入できた。しかし、途中から何人かが手ぶらで戻ってきた。釣り銭がないという。最初のツアー客が皆20ユーロや50ユーロ紙幣を出したためにお釣りの小銭がなくなってしまったらしい。私は日本から小銭を用意してきたのでなんとかそこで入場券を購入できた。海外を旅行する場合、最も役に立つ紙幣は20ユーロや20ドル紙幣あたりですね。50ユーロや50ドル紙幣は高価なものを買う場合にだけに利用するような気持ちでいないと役立たずのことがある。

お釣りがないと言われたツアー客は、現地日本人ガイドとともに元の入場券売り場に行き、並んでチケットをかわされる羽目になった。整理券を求める数百人の行列を見て殆どの人が、ツアーパンフレットにはドォーモ入場と謳っているのに、なんかおかしいんじゃねん?と思いつつ、チケットは諦めたようだ。

ミラノのドォーモは、500年かけて完成した。外観を眺めているだけで時代の重みが伝わってくる。中に入ると、内部奥のステンドグラスが美しい。ドォーモの屋上にも上がってみた。市街地には近代的な高層ビルが林立していた。イタリアの古い都市で近代的な高層ビルと言うのは珍しい。ローマやフィレンツェでは高層建築は禁止されているはずだ。ローマでは最も新しい建物は100年前のものと現地ガイドが説明していた。それにしても、有料とは言え、神聖なはずの教会の屋上(に上がらせてくれるというのは日本とは考え方が違う。日本だったら絶対神社の屋根には上がらせてくれない、というか中にも入れてくれない。

ドォーモ見学の後はヴィクトリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアで集合時間までの時間潰し。このガレッリア、つまり商店街の通りをガラス張りの天井で覆うことは、東京ディズニーランドの入り口ワールドバザールがこれを真似している。

ガレッリアの中央は十字路で交わる。その付近に青いタイルで囲まれた牡牛のモザイクがある。その股間部分がやや窪んでいる。この窪みに踵を合わせてクルリと一回転すると幸せが訪れる、旅行者は再びミラノに戻れる等の言い伝えがあるそうだ。トレビの泉といい、このモザイクといい、イタリアでは色々と工夫を凝らした言い伝えが残っている。

(↑ドォーモの屋上から見たミラノ市街。手前の塔はドォーモ。中央左の丸屋根はガッレリア交差点の上の丸屋根。遠くに高層建築群)


この十字路が交差する地点は高級ブランのお店が林立している。地価が高い。品物も高い。観光客からのボッタクリ価格だ。写真の中央、やや右寄りのお店「SAVINI」の地代は1日28万円(←写真左、中央付近の屋根のあるお店)。この辺のお店の地代は皆ミラノ市の収入となる。この辺の高級店が皆ボッタクっているのかと思ったが、実は一番ボッタクっていたのは大地主のミラノ市だったと現地ガイドが教えてくれた。





昼食は、市内外れの団体環境客向けの食堂でミラノ風リゾット。隣の席に、小学校に上る前の女の子と一緒に参加した3人の家族連れが座った。若いお父さんが奥さんになんかわけの分からない言葉で話している。ん?国際結婚の夫婦か。お父さんは中国人かな?その子供に中国語で話しかけた。通じない。日本人と思った奥さんの方に日本語で話しかけた。
私:「日本の方ですか?」
女性:「ワタシハ・・・ベトナム人です。」
私:「(予想外の返答にしばし沈黙)・・・・・・・・・」
お父さんの方が話しかけてきた。
若い男:「ベトナム語は中国語に似ていますよね。」
私:「えっ!(と一瞬驚く。)ベトナム語を話せるんですか?」
若い男:「えー、ベトナムにいたことあるので。」
私:「ベトナム語って難しいでしょ、確か六声(中国語では四声)あったはずだし、発音が120ぐらいあるんじゃなかたっかな?」
若い男:「えー、確かに難しいですね。現地駐在員でベトナム語を多少話せる方でも表面的なことぐらいしか話せない方が多いです。私は現地の大学に入ってみっちりとやったから話せるようになりました。でも、ベトナム語が難しいってよく知ってますね。」

私とて、ベトナム語を習ったことはない。自分が難しいと感じたわけではなかった。米国にいた時に、30ヶ国語を話すという教授と話す機会があった。その教授に聞いてみた。最も難しい言葉は何語かと? 教授の答えは、最も難しいかどうかは分からないが、少なくともベトナム語は、上記に上げたような理由で難しい言葉だといっていたのを覚えていた。ついでのことながら、では最も簡単な言葉は?とも聞いてみた。教授は、簡単という言葉を使うのが適切かどうかはわからないがと前置きしつつ、XXXXX語ではないかと答えた。

さて、教授が上げた言葉は次のどれだったでしょうか?
① 中国語、②日本語、③イタリア語、④ロシア語、⑤英語

イタリア旅行記 その2/11― ―アリタリア航空ーー

今回利用した航空会社はアリタリア航空。成田からは毎日ローマとミラノの2都市へ定期便を飛ばしている。日の丸航空のJALやANAはイタリアへは直行便を飛ばしてない。アリタリア航空は行きも帰りもほぼ満席の状態だったのだけどね。
アリタリア航空機 DSC_2024

さて、私達ツアー団体を乗せたアリタリア航空は、12時45分に成田を飛び立ち、ミラノへ向かった。窓から外を眺めるのが好きなので窓側の席を取った。隣のアイル側席には若い白人の青年が座っている。このまま12時間も素知らぬ顔で座り続けるのもどうかと思い、日本からの乗客か?乗り継ぎ客か?と話しかけた。成田からだという。英国生まれで、英国育ちの英国人ミュージシャンだった。サクソフォンを演奏するという。後ろに座っている仲間二人を含め2週間かけて、函館や東京、京都、別府と日本の全国ツアー公演を行った後で、ドイツのベルンに帰る途中だった。活動拠点がベルンのようだ。

ベルンは音楽家にとって活動しやすい街なのだそうだ。音楽といえばオーストリアのウィーンか、エンターテインメント産業の発達しているロンドンと思ったのだが・・・・。英国のEU離脱は影響があるかと聞いたら、”多分(possibly)”との返答。

それにしても、ミラノ経由ベルンである。一度ドイツのベルンの上空を超えて、イタリアのミラノまで通り過ぎる。そこからまたバックしてベルンに戻る。料金が安かったからこの飛行ルートを選択したのだろうか?エコノミー席に乗るようなミュージシャンだからどうせ有名ではないだろうということで名前を聞くことはしなかった。

飛行予定時間は12時間半であったが欧州の上空に入ったら強い追い風を受けて到着が早まった。追い風200kmと出ている。登場しているエアバスの最高時速が850kmぐらい。欧州上空に入ると燃料もだいぶ減って期待は軽くなり、追い風を受けてぐんぐん加速。時速1000kmぐらいで飛んでいた。予定より30分早く着陸した。時差があるので18時。

日本から西へ飛行する場合は、時差の関係があるのだろうか、午前中に出発して午後や夕刻に現地に到着し、そのままホテルでくつろぐと言う日程を組めることが多い。しかも、西行きの場合に対して時差ぼけに悩まされる事もない。今回のイタリアも、そのままホテルへ直行。日本のツアー会社がお得いとするホテルSt Johnへ。フロントに4つ星のマークがあったけど・・・・・。もともとはシングルの部屋にベッドを二つ入れてしまったのか?狭い。部屋の中で旅行トランクを開けられるほどのスペースが無い。閉そく感を打ち破るためなのか、壁に大きな鏡。日本でいえば朝食付き一泊4000円程度のビジネスホテルレベル。表向きの料金は一泊60ユーロ(\7200円)ぐらい。

到着の日は、夕食の予定は組まれてない。到着直前に夕食として機内食が出た。それで済ませますというのがHIS流。ミラノの空港内で集合していた時、HISツアーの団体の隣にJTBツアーの団体も。JTBの添乗員さんはこれから夕食に出かけるとツアー客に説明していた。この辺がHISとJTBの違いかなと思う。でも、機内食を食べた直後なのでこれ以上とても食べられないとも思った。

HISは細かいことにお金がかかる。登場前に手渡されたえE-チケットを紛失したり、レシーバーを紛失したりすると(罰金とは書いてないが)が料金を取られる。さらに、ホテルなどに忘れ物などをして、添乗員の手を煩わせると捜索料金を取られる。42名も世話するとなると添乗員も大変なんだろうけど、なんかケチ臭くないかぁー、HIS!

イタリア旅行記 その1/11 ― ― ツアーに42人も― ―

先月、4月の20日から27日にかけて、イタリアを旅行してきました。海外旅行は昨年7月のスペイン以来です。ということはイタリアは私にとって36番目(?)の訪問国。今回はバチカン市国も加わる。イタリアを選んだのは、スペインの次はイタリアかなと行ったノリです。それに、まだ行っていない国でメジャーな国としては、イタリアとオーストラリアぐらいしか残ってなかった。

イタリア地図 60  1日目 illustrated-tourist-map-of-italy
申し込んだツアーはHISの添乗員が同行する「大満喫!イタリア紀行8日間」。169,800円。これに一人部屋追加料金や現地の税金など諸経費が加算され合計212,670円。

昨年のスペイン旅行の時はフィンランドで乗り継ぎがあった。空港で5時間も時間を潰さなければならかった。その苦い思いから今回は直行便を使うツアーを選んだ。直行便を選択したので、「てるみークラブ」に引っかからなくて済んだのかもしれない。

添乗員付きのツアーに申し込むと、旅行日数日前に添乗員さんから挨拶の電話がかかってくる。その電話で、今回は参加者は現地からの合流を含め42名、ウワァーというほどの大部隊だということを知った。その内訳。一人旅参加者3名(熟女2名と私)、女同士2組(50代と20代)、子供を連れた家族連れ一組。米国カリフォルニア州在住の友達らしき壮年日本人男女二人、新婚旅行らしき若いカップル3組、残り熟年夫婦12組。北海道の夕張市から参加した熟年夫婦もいた。

いろんな方がいる。聞かなくても、家が医者をやっている、小さい頃から女はバカで明るいのが良いと言われて育てられてきた、旦那は歯医者ではないが歯医者をアチコに斡旋する仕事をしている、と話してくれた大屋政子風の奥さん。人懐こかったな。

一人旅の3人のうち私以外は女性。そのうちの一人は50代と思われる。子供が社会に出て手を離れ、親の介護でつききりになる前の自由になれる時期に海外旅行へと。ご主人は一緒に来ないのかと聞いたら、1週間も休みを取ったら首になってしまうと。もう一人は、60代だろうか。孫がいると言っていた。私のような年配男性の一人旅は皆から珍しがられた。

前回のスペイン旅行のときには、レシーバーを渡されてツアー旅行の進歩を知った。今回も行く先々でこのレシーバーを通じて、現地ガイドの説明を受けた。そして、新たに旅行に便利と思ったグッヅは、レンタルした携帯Wi-Fi機器。別の言葉で説明すると外国で使える携帯電話機ならぬインターネット用のデータ送受信専用携帯電話機です。通話はダメ。データ専用だから利用料は利用分数ではなく1日いくらの定額制。

事前に配られた旅行ガイドではイタリアでもほとんどのホテルでWi-Fiの利用が可能との文句。ところが、そこはイタリア。あるいは、泊まったホテルが一流でなかったせいだったのか、このWi-Fi機器が力を発揮した。ホテル提供のWi-Fiサービスは、速度が遅かったり、アクセス状況が悪かったりで部屋からは利用できない事が多かった。もともとイタリアは通信環境が良いというレベルの国でもない。欧州では北欧諸国は日本並みに電波にアクセスしやすいが、それ以外の国では日本と同じレベルを期待してはいけない。
携帯Wi-Fi機器無題
←携帯Wi-Fiは便利だった。バッグの中に忍ばせて携帯Wi-Fi機器のスウィッチを入れておけば、ホテルの部屋でも、街中を歩きながらでも、走っているバスの中からでも、いつでもその携帯Wi-iFiを通じてメールやインターネットにアクセスできる。一度、走っているバスの中でWiFiの電波状況をチェックしてみた。走っているバスの中にもかかわらず、非常に強い電波を出しているWiFiアドレスが5件見つかった。42名中5人の参加者がWi-Fi装置をレンタルしてきていた。

ちなみにWi-Fiだから、そのWi-Fi装置から発している電波を拾えば、そのWi-Fi固有のパスワードを知ってさえいれば、何人でも同時に利用できる。このWi-Fi機器のレンタル代金は、8日間のレンタルで5000円弱。機器は中国ZTE社製。スイッチを入れると「歓迎」という言葉が、英語や中国語、ドイツ語などで表示された。日本語表記はなし。あーあ、一昔前だったら、間違いなく日本製だったはずなのだが・・・・。この分野でも日本企業の影はない。