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イタリア旅行記 その8/11 ――ローマーー

イタリア滞在最後の日はローマ終日自由観光。HISではオプショナルツアーとしてナポリ・ポンペイ1日観光とカプリ島の青の洞窟観光も用意されていた。参加者の半数近くがどちらかのオプションに参加し、残りはローマ市内観光。ローマは初めての私も、市内観光を選んだ。とは言え、初めてのローマ。ガイドブック片手に市内を歩くのは物騒だし、あまり効率が良くない。日本から事前に、Green line社のローマ市内1日観光に申し込んだ。136ユーロ(\16000ぐらい)。

宿泊したホテルは郊外にあるため、タクシーを呼んでもらって集合場所のグリーンラインツアーのオフィスへ。4月25日(火)、平日なのに市内に入っても道路は空いていた。渋滞は全くなく余裕で集合場所へ。

乗車した市内1日観光の大型バスはほぼ満席。私以外は全員が欧米人。英語による観光ツアー参加者でレシーバーを持ってのツアー。バスは混載。私は“ケイ”と名乗る中年女性が日本語ガイドとしてバスに乗り込んできた。たまたまこの日はこのツアーへの日本人申し込み者は一人であった。大型バスの最後部片隅にちょこんと座り、一対一でのガイドツアーとなった。

一対一でのガイドツアーは月に1回ぐらいの割合であるようだ。ローマは通勤時間帯でも渋滞が無いのかと聞いた。たまたま、今日、4月25日は祝日だからだとの返答。解放記念日だと言う。
私:「どこからの解放されたの?」
女性ガイド:「連合軍から。」
私:「あ、なんだ、終戦記念日ね。」
(帰国後、念のため調べたらイタリアの北部諸都市が1945年のこの日にドイツ軍から解放されたことを記念する日であった。
あれ?イタリアはドイツと組んで戦ったのにおかしいな?さらに調べると、イタリア南部はその2年前に連合国軍に陥落していた。つまり、この記念日は連合国側にたって、ムソリーニを助けていたドイツとファシストから北部を奪還したと言うことである。)イタリア ローマ トレビの泉 モデル2 DSC_2286

午前中は、トレビの泉やパンテオンの見学。トレビの泉は昨日も行っている。コインを投げると再び訪れることができるというので、昨日、1セント投げ込んだことを思い出した。なるほど、コインを投げた効果てきめん。トレビの泉では花嫁衣装を来たモデルが写真撮影をしていた。


トレビの泉の後はパンテオン。パンテオンは世紀前後にできた神殿。神殿と教会の違いはわかりますかと女性ガイド。ン?そう聞かれるとわかっているようで答えられない。答えは、神殿は神様(ローマのパンテオンはローマの神様、アテネのパルテのンはギリシャの神様)を祀っている。教会はキリストを祀っている。パンテオンの中央にはギリシャ神話の神々の中の神様と言われるゼウスの像が鎮座している。(たぶん、ギリシャから奪ってきたもの。)
そのゼウス像の左横の方に、(名前は忘れたが)美しい男性の象がある。ミケランジェロはホモだったので、この男性像がいたく気に入っていた。そして、フィレンツェのダビデ像の顔はその男性像を模写して制作している、これはミケランジェロが書いた記録に残っていると説明してくれた。

パンテオンの中で有名なのはラファエロのお墓。このお墓がどうしてそこにあるのか?もともとラファエロが希望したからだった。その次のような裏話が面白かった。

レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロとともにルネサンス3大巨匠のひとりと言われるラファエロは良家の育ちであった。教皇側はラファエロに安く壁画を描かせようとたくらんだ。ラファエロは良家の育ちなので高い描画代金は要求しなかった。その代わり、死んだらパンテオンに葬ってくれることを望んだ。教皇側は、それはお安い話、それまでにラファエロをこき使って絵をたくさん書かせようとの魂胆の下、了解した。ところが、ラファエロは37歳の若さで早死にしてしまった。(女遊びが過ぎたという話がある。)あてが狂った教皇側はラファエロの約束を守らず、パンテオンの隣に小さな塚を造って葬った。そして忘れ去られていた。

1870年12月28日にローマ市内が大洪水に見舞われた。水が引くとパンテオンの外側に石棺が現れた。ラファエロの名前が刻まれていた。本当にラファエロの棺?市は調査した。石棺の中には遺骨を包んでいたと思われる繊維の破片が見つかった。分析した結果、紫色の布であった。当時、紫の布を巻いて葬ったのは高貴の人だけ。ということで石棺はラファエロのものと認定され、その後にラファエロの希望通り、パンテオンの中に移されて今に至っている。

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