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天空の城、備中松山城に上ってみた


岡山県高梁(タカハシ)市にある備中松山城へ行った。天空の城としては、兵庫県朝来市にある竹田城が有名だ。竹田城が遺跡なのに対して、こっちのお城は雲海に天守閣が浮かぶんだもんねぇー、とばかりに最近注目され始めているのが、この備中松山城。

復元したのではなく、現存する天守閣をもつ12のお城のうちの一つ。3大山城のうちの一つでもある。年間10万人が訪れるまでになった。少なくとも人気あるお城のトップ10には入る。雲海に浮かぶ城を見るのであれば9月下旬~4月上旬の早朝、特に10月下旬~12月上旬の早朝には2日に1回ぐらいの割合で濃い朝霧が期待できる。

s_天空の城 (1)

朝の5時にさいたま市を出発した。東京駅6:30分発の新幹線に乗り岡山到着が9:50分。在来線の伯備線で倉敷市に到着したのは10:20頃。市内でレンタカーを調達し吉備路を北上すること1時間半。お城がある臥牛山(がぎゅうさん)の中腹にある駐車場に着いた。一般車両はそこから上は進入禁止。300円払ってシャトルバスに乗り、ふいご峠駐車場を目指す。そこからはお城がすぐという訳でもない。まだ八合目程度だ。遊歩道を700mほど登らなければいけない。高齢で体の弱い方には少しきついかも。でも、決して急こう配で登れないと言うほどではない。

天空の城 5022
15分ほど歩いてお城の石垣が現れた。そばに説明板。今年の大河ドラマ「真田丸」のオープニング映像で使われている天守閣や城壁の位置を示していた。NHKの日曜大河ドラマはオープニングの映像だけ時々見ている。お城がいくつか出てくるのは気が付いていた。でも、そのうちのひとつが備中松山城で有るとはその時初めて知った。とはいっても、備中松山城の城壁などはコンピューターグラフィックが加わり粉飾されている。例えば、石垣や坂に大量の水が流れ落ちてくるシーンがある。山の頂上に立つ城なのであのような大量の水は流せない。流れ落ちる水はすべてコンピュータグラフィックの画像である。オープニングの映像はここ↓で見られる。
http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/special/movie/movie07.html

現存天守閣の中では一番小さい天守閣ということで、中は確かに狭い。
私の実家の方が広いんじゃないかな?(^_^)

20分ぐらいかけて登ってきたものの、お城は15分もあれば一通り見終えことができる。天守閣の中に、「備中兵乱」というDVDや紙芝居動画を映し出す機器があったので、それをじっくりと見たので1時間ぐらい頂上にいた。

登った時は曇っていたが、途中から霧雨模様になった。すぐに、また陽が差してきた。変わりやすい天気。なんとなく空中には霧が舞っている。坂を下りながら、何気なく遠くの山の方を見ようと目をあげたら、眼前に二重の虹がかかっていた。この日の朝も雲海が出たと駐車場の係りの人が言っていた。その雲海は見られなかったが、虹を見たからいいな。
天空の城 虹  縮小  DSC_1793
↑ 写真の中央部分が駐車場。そこからシャトルバスが出ている。

備中松山城は、戦国時代から次々と城主が変わった。江戸時代中ごろには水谷家が城主だった。水谷家には跡継ぎが無く、改易(ま、現代用語ではお城は幕府が没収ということです。)処分。お城は浅野家引き継ぐことになった。水谷家側は当然のことながら改易に不満で徹底抗戦の姿勢を見せていた。

城を受け継ぐ側として、昼行燈とさげすまれ仕事ができないとされていた家老が城の明け渡しの交渉にあたる任を負うことになった。しかし、昼行燈の家老は、この時は水を得た魚のように動き、1694年、首尾よく無血開城にこぎつけることができた。その数年後、その家老が仕えるお家は、殿が刃傷沙汰を起こしてお取り潰しとなってしまう。運命のいたずらだ。今度は、逆にその家老が仕えているお城を隣の藩に差し出す任務を負わされることになった。その家老とは、日付としては今日12月15日の未明に武士の本懐を遂げた忠臣、大石内蔵助である。
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