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陽光輝く地中海へ スペイン8日間の旅 その5/6

4日目の夕方、トレド市街の見学を早々に切り上げ、闘牛見物に向かう。
闘牛はスペインの国技である。観光した小さな街、ミハスにも闘牛場があった。スペインのたいていの街には闘牛場はあるほどに人気の大衆娯楽だった。しかし、闘牛人気は近頃衰退が激しい。スペインの観戦人気娯楽はかつての闘牛からいまやサッカー。闘牛の観客数は激減。私が観戦した時も闘牛場の観客席は4分の1ぐらいしか埋まっていなかった。

スペイン 闘牛場 DSC_1572

↑ 観客席はかなり空いている。
↓ 石の座席だ。 陽のあたる席だと夜7時だというのにまだ結構暑い

スペイン 闘牛場 人少ない DSC_1573 

私たちがマドリッドで闘牛見物する前日の土曜日、スペイン東部エルテルで、闘牛士が牛に角で突かれて命を落とした。闘牛士が闘牛中に死亡したのは、31年ぶり。闘牛士が着ている服は防護服として、それなりに安全にできている。しかし、両脇の下だけは隙がある。牛は、角に布など何か物が触れるとそれをすくい上げる習性があるという。左腿に角があたり、闘牛士はすくいあげられた。転がされたところに、不運にも右脇下に角が入ってきた。少し下にずれていれば、・・・たぶん致命傷にはならなかっただろう。

これ↓が、その時の映像だ。この闘牛士はその場で死亡が確認された。
https://www.youtube.com/watch?v=LOSZkoVYmEE

闘牛士が死亡したとなるとすぐに闘牛は危険のように思えてくる。確かに危険ではあるが、31年ぶりである。意外と安全なスポーツといえるかもしれない。ボクシングやF1などのカーレースの方がよっぽど死者が多い。闘牛は、一般的には、闘牛士が赤い布(ムレータ)をひらひらさせて牛を興奮させ、隙を見せたところを一突きして殺すというような感じであった。実際には違った。画像で見てもわかるが、牛の背中には銛が撃ち込まれている。闘牛士の方にかなりのハンディが与えられている。
以下のような手順があった。

まず、
(1) ピカドールと呼ばれる防具を付けた馬に乗った人が牛の背中に槍を刺す。大昔は、貴族によるこのような騎馬に乗っての闘牛のほうが主流だったようだ。その頃は、徒歩の闘牛士は騎馬闘牛の助手程度の存在だった。正面から単独で牛と戦うのが主流となったのは18世紀後半のことである。今ではどの街にもある闘牛場も18世紀終わりになるまではどこもなかったそうだ。徒歩の闘牛士(マタドール)は、もともとは社会の最下層と位置づけられていた。闘牛が盛んになるにつれ社会的な地位も変化し、花形の存在となった。まるで、河原乞食が歌舞伎俳優として地位を変化させていったかのように似ている。

(2)バンデリジェロが牛の背中に銛を2本づつ3回にわたり刺し残す。
この銛が牛の背中に飾りとして残っている。ここまでは、闘牛側は牛に戦闘意欲を高めるための気合を入れるためと説明される。しかし、実際に見たところでは、気合を入れるというよりか、牛を弱らせるためと言う感じがする。この頃になると牛の背中かからはドバドバと血が流れ落ちくる。どう見ても、時間とともに牛のほうは体力がなくなりますよ。

(3)牛を布でヒラヒラと挑発し、そして、かわす。 ← ここが、オーレ、オーレという一般的な闘牛の場面。牛は色盲だそうな。赤い色に興奮するのは牛ではなくではなく、闘牛士の方。牛は、布がひらひら動くのに興奮して突進する。いかに近くで身をかわすかが闘牛士の見せ場となる。

(4)牛の首に長い剣を刺す。「真実の瞬間」という。この仕留めに使われる剣はまっすぐではなく、途中から若干下方に曲がっている。15分ぐらいオーレ、オーレとの声援を受けて、牛の突撃をかわしていると牛がバテてきているのがわかる。ハァー、ハァーという感じで牛が口を大きく開け、舌が垂れ下がり始める。首の後ろの肩甲骨の間5㎝ぐらいのところが牛の急所になっている。ここに剣を差し込み、いかに苦しまずに倒すかが闘牛士の腕の見せ所となる。

急所を外さずに、スパッと仕留めた闘牛士(マターレ)には、観衆が立ち上がって白いハンカチを振り回わして称賛する。この白いハンカチは、闘牛士にご褒美をあげることを促すものでもある。
私たちが見た闘牛でも2試合目に観衆が総立ちとなってハンカチを振っていた。これを見て場内の貴賓席にいる理事長も白いハンカチを振ると、ご褒美として闘牛士はその牛の片耳がもらえる。私たちが見物していた時は、理事長は物足りなかったらしく、理事長がハンカチを振ることはなかった。闘牛士に片耳が与えられることはなかった。観客からは一斉にブーイング。

技がことさら素晴らしいと絶賛されると、両耳ももらえることもあるそうだ。この耳を年間でいくつ集めたかが闘牛士の名誉の順位づけになっている。

(5)崩れ落ちた牛をそれ以上苦しませないために、牛の首にトドメの短剣を刺す。
(6)3頭の馬で、牛を引きずって退場させる。たいていの牛が3頭の馬にひきづられて、そのまま一直線に出口に向かう。しかし、勇敢に戦ったとされる牛は、名誉として場内を一周ひきづった後で退場するそうだ。それも、なんだかなぁーーー。その時、引きづりまわされている牛にどう思ってんだか聞いてみたい気がする。

近年、闘牛は残酷だからやめろという声が大きくなっている。残酷かと言えば、残酷です。すでにバルセロナがあるカタロニア州では州法で2012年から闘牛が禁止された。これは、単にスペインからの独立気質を持つカタルーニャ地域主義が背景にあるという見方がある。一方で、20年後にはスペイン全体で闘牛がみられなくなるのではないかという予想もある。しかし、スペインの街のあちこちに闘牛場がある。国の文化としてしみ込んでいる。闘牛を無くしてしまうのも惜しい気がする。

かつて、昆虫の命を粗末にすると子供の将来を心配した母親からの相談が新聞に掲載されていた話を思い出す。
母親:「私のこどもは虫が大好きです。でも、捕まえてきたトンボや蝶などの羽をちぎったり、胴体をばらばらにしたりして遊んでいる。生き物の命を大切にしない。こんな虫の命を軽々しく扱う子供ばかりの世の中になったら虫が絶滅してしまう。子供の将来も心配だ。」
こんな内容だったような記憶がする。回答者の内容が素晴らしかった。
生物学者:「お母さん、大丈夫ですよ。心配することはありません。子供は興味があるからバラバラにしているんです。そうしているうちに命の大切さを学びますよ。子供がばらばらにするくらいでトンボなどの昆虫が絶滅するようなことはないです。他の方法で大量に殺していることのほうがよほど深刻です。田んぼなどでトンボやカエルがいなくなったのは農薬などをばらまいているからです。」

闘牛は一回の興行で6試合が行われる。つまり、毎回の興行で6頭の牛が犠牲になっている。マドリッドの闘牛場だけで年に200頭以上が殺されている計算になる。動物愛護を唱える人もいる。でも、・・・・・あーいう目の前で牛が息絶えるシーンに触れると逆に命の大切さが感じられるような気もするけどね。闘牛は無形文化財みたいなもんですよ。もっと多くの、数え切れないほどの牛たちが、毎日毎日屠殺場に送りこまれている。そして店先に並べられている。
ドナ・ドナ・ドーナ・ドーナ ドナ・ドナ・ドナ・ド
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