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陽光輝く地中海へ スペイン8日間の旅 その2/6

スペインの南東部、白い壁の街で知られるミハスのホテルにチェックインしたのは、日も改まって未明の1時頃。だいたい、中継地点のヘルシンキの空港で、スペインのマラガ空港行きのフライトを待つこと5時間半。田舎空港行きだから変な時間にしか飛ばない。仕方ないか。日本をたってから22時間も過ぎている。昨日の起床時間からは、28時間も過ぎている。いや、参ったね。宿泊先はホテルミハス。日本人が良く利用するホテルのようだ。坂の入り口に「日本のみなさん、ありがとう」の塔が建っている。

↓ミハスの市街とありがとうの塔

ミハス展望 ミハスありがとうの塔

スペイン2日目。7月8日は、最初の観光地、グラナダにあるアルハンブラ宮殿に向けて出発。車窓から見る眺めは、あたり一面オリーブ畑。岩が露出する乾燥地。グラナダはスペイン語ではザクロを意味するそうだが、街中には街路樹としてオレンジが植えられている。ちょうど今頃に実がたわわになっている。オレンジの実は甘いオレンジの実と苦い実の2種類があるそうだ。街路樹に植えられているのも苦い方。なぜかというと、甘い実のオレンジを植えると盗まれてしまうそうだ。まぁー、そうだろうな。苦い実はどうするのと聞いた。収穫したた後はイギリスなどに輸出してマーマレードにされるのだとか。イギリス人の舌なら、甘いも苦いもあまりわからないのかもしれない。

ミハスファンさん ← ミハスの観光所前に広場で糖蜜でまぶしたアーモンド菓子を売るファンさん。日本の観光客の間にもかなり知れ渡っている。日本の雑誌にも紹介されているようだ。確かに、ファンさんのアーモンド菓子はおいしかった。

1時間ぐらい走って、アルハンブラ宮殿に到着。アルハンブラ宮殿への入場はバーコードで管理している。30分単位で300人が入場できる。1日の入場者数が7200人と制限されている。指定された時間帯にならないと入場できない。地元の女性ガイドさんが、年間310万人ほどの入場者数は、バルセロナのサグラダファミリアを抑えてのスペイン第一位だと嬉しそうに話していた。1日の入場制限者数と1年の日数をかけると262万8000という数字が出てくる。が、その辺はスペインということで、アミーゴ、アミーゴ。アルハンブラ宮殿の写真などは、インターネット上にたくさんアップされているのであえてとることもないかなと思いあまり撮影しなかった。

↓奥の方にアルハンブラ宮殿
ミハスアルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿


現地のガイドさんがアルハンブラ宮殿見学のポイントして、①天井の模様、②壁の幾何学模様、③タイルの模様の3点を挙げてくれた。アルハンブラ宮殿はイスラム系の建物。像や壁画に教祖を描くことは禁止されている。となると、どうしても天井や壁の模様を凝ったものにしたくなる。壁の幾何学模様の精密さはレベルの高いものを感じさせてくれる。今でも、学術的観点から幾何学模様を参考にしている数学者が時々訪れるそうだ。


ミハスアルハンブラ宮殿2アルハンブラ宮殿にも、とうとうと水をたたえるかのようなイメージの池がある。(→ 写真の女性はモデルではなく、単にその場にいた観光客) ちなみにギター独奏曲として有名なタレガの「アルハンブラの思い出」は水のしずくをイメージして作曲されているのだそうだ。


s_アルハンブラ宮殿 大使の間の前の池 ← 大使の間の前にある池

イスラム教は砂漠の民から伝えられたので、砂漠の民は水にあこがれ、蜃気楼に親しみを感じたのだと言う。それ故、イスラム系の建物は水がふんだんに溢れるつくりになっている。建物は蜃気楼をイメージするかのように軽い感じ。ルネサンス時代の西欧が建物に重装なもとに飾り建てたものと対比していて面白い。

s_アルハンブラ宮殿 玉座
池の奥にお客を迎える大使の間がある。そこで王様が座して客を迎えたそうだ。(←ここに玉座がありイサベラ女王が座っていた)その客の一人にコロンブスがいる。コロンブスは、その大使の間で、時のイサベラ女王からアメリカ大陸を発見することになる航海への資金援助の申し出を受けている。

イスラム系の人々は砂漠の民が多いからレベルは引くのではないかという先入観があった。大間違いであった。今回のスペイン訪問で認識を新たにした。イスラム教徒がアフリカからジブラルタル海峡を越えて、スペイン領土に入り込む。当時、スペインに住んでいたゴート族、白人のキリスト教徒は野蛮でレベルが低かったようだ。これに対してイスラム教徒は、幾何学や薬学、天文学ではかなり高度の知識を持っていた。砂漠で、夜はやることがないから星空をながめていたら確かに天文に詳しくなるよね。で、そのスペインを占領したときに天文学がスペインに伝わり、それがコロンブスの航海に使われることになるなんてわかってくると、世界史も面白い。高校で世界史やる前に、修学旅行かなんかでスペインやイタリアなどの西欧旅行をすれば、もう少しまじめに世界史を勉強していただろうなんて思ったりして。

このキリスト教徒たちを次々と追い払い、寒い北部を除くスペイン本土のほとんどを占領した。やがて、北部に追いやられたキリスト教徒が逆襲に転じる。じわじわとイスラム教徒の追い出しを図っていく。スペインの中世の歴史は、このレコンキスタ(国土回復運動)が中心項目の一つになっている。アルハンブラ宮殿がイスラム王国の最後の砦としてに残っていたが、遂に落城。無血開城だったので現在も当時の状況をしのぶことができる。アルハンブラ宮殿も、一時は、浮浪者やジプシーが住み着き廃墟と化して朽ち果てるほどにまで落ちぶれていた時期があったようだ。アメリカの外交官ワシントン・アーヴィングが「アルハンブラ物語」を書きその歴史的価値が再発掘されたとか。脚光を浴び始めたのも、それ以降ことみたい。

ミハスグラナダ旧市街
↑ グラナダの旧市街地

とにかく、その後、スペインは南米を植民地化し、アジアではフィリピンも植民地とする。陽が沈むことない世界最大の帝国となった。ちなみに、フィリピンという国名は、当時のスペインの国王フィリップ5世の名前からとった国名だそうな。それもこれも、イスラムに占領されていた時にスペインに高度な学問が伝わったからのようだ。ガイドさんにaやalから始まる単語はたいていはアラビア語からきていると教えてもらった。アルゴリズム(数学系)やアルコール(これは薬学系かな?)などいろいろあるんだとか。

当時は世界一のスペイン。イスラム教の後ウマイヤ朝の首都だったコルドバはその頃の人口が50万人あったそうだ。今は、花の都と言われるパリ、その頃の人口は1万人だったとガイドさんが説明してくれた。

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