恋愛成就のメールテクニック
RSS

久々の温泉旅行 その3/5 (末の松山)

鳴子の次は、「末の松山」を訪問。「末の松山」といっても、愛媛県松山市とは関係ありません。焼き鳥で有名な埼玉県東松山市とも関係ありません。あ、東松山の焼き鳥は正確には、鳥ではなく、豚。焼きトンですね。辛い味噌だれをつけて食べます。そのうちB級グルメで有名になってくるんじゃないかな。

さて、話を末の松山に戻すと、百人一首で次の和歌は聞いたことがあると思います。

「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」
[現代語訳] ふたりは固く約束しましたね。お互いに涙で濡れた袖を幾度もしぼりながら、あの末の松山を決して波が越すことはないように、ふたりの仲も末長く変わるまいと。

この歌、清少納言の父ちゃんで、36歌仙の一人清原(清原元輔)の作品。女に振られた知人の男から頼まれて、心変わりした女に作った、女をなじるというか女々しい気持ちを詠んだ歌なのだそうな。

私は、百人一首に入っているのだから、「末の松山」は関西のどこか海辺に近い平凡な山なんだろうと長いこと思っていた。この末の松山が東北の宮城県多賀城市にあると知ってちょっとビックリしたのが、例の東日本大震災の時。(他の場所という説もある。)

「末の松山」と「波」はセットで使われていて、この「波」と言うのは通常の波ではなくて津波のこと。

東北地方では、貞観11年(869年)の貞観地震という大地震が起きた。その時も、東日本大地震の時と同じように、大津波が押し寄せたのだけど、その大津波は末の松山を超えなかった。それ以降和歌では、末の松山を波が超えることのないように、私の恋心も絶対に心変わりすることはないと言う具合に「末の松山」とくれば、恋心が変わることは無いというパターンになったようです。

で、多賀城市の市史によると、古今和歌集時代の和歌では「末の松山」が出てくる和歌では全部、心変わりはしないとの固いかたい決意を伝えている歌になっているのだけど、100年後ぐらいにご拾遺和歌集などに収められている和歌になると、今度は全部「末の松山」超えないと言っていたのに・・・どうして?と言うような、実際は末の松山を超えたことを悲しむ歌になってしまっているという記事があった。

まぁー1000年経ても、男女は好きだ、別れたなどと歌でやりあっている、時には大津波も来る。あまり変わってないのかもね。

では、先の東大日本震災の大津波は「末の松山」を超えたのか?
超えたという場合、①その地点より奥に波が進んだ場合を言うのか、あるいは、②その地点のもっとも高い部分を波がかぶっていった場合のことを言うのか、の2通りの解釈ができる。

末の松山の駐車場に行くと、写真のように、塀には津波の跡が残っていた。ゆうに1mは超えていた。

津波1

津波3

(塀の中央、青色の指標は「東日本大震災津波痕跡 ↓」とある。指標の下、横一直線に津波の跡が残っている。)

末の松山は、そこの駐車場からほんの50mぐらいのところにあった。
末の松山1 末の松山2

東日本大震災の時の「末の松山」を波が超えたのかどうかについて、参考となるのが名古屋大学が作成した以下の地図。
http://danso.env.nagoya-u.ac.jp/20110311/map/574130Shiogama4.jpg

出てくる地図上では、赤い部分が東日本大震災で津波が来た地域、津波にやられた区画。
クリックすると地図が拡大される。

その地図上で、末の松山はどこか?
画面の左下に、港湾部分の中に「仙台市宮城野区」の文字が見える。
その文字の左側はほとんど赤く塗られている。津波が到達したことを示している。
しかし、その文字の左上を端の方に眼を動かして、よく見ると赤い色に囲まれた中に米粒のような白い四角形がある。そこにカーソルを当ててダブル・クリックしてみよう。

和歌で詠まれている「末の松山」のことを知らなければ、タダの松が植わっている小高い場所ぐらいのものではあるが、事前の知識があると訪問した時の感じ方も少し違ってくる。
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す