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ヤンゴン訪問記 その4 (小さな笑顔がいっぱいの巻)

2日目のバゴーからヤンゴンへ戻る途中、今度は、案内してくれた現代美術家たちが自分たちの学校建設予定地を案内してくれた。ミャンマーでは、他の後発開発途上国と比べると児童に対する教育が行き渡っている。国民の識字率も90%以上と高い。しかし、学校では、読み書き計算の基本教育だけのようだ。

  





 写真:学校建設予定地と構想図
 斜めの土地を利用して建設するようだ。






情操教育に効果的な芸術教育は施されていないと案内してくれた現代美術家たちは嘆いていた。この現代美術家たちは、慈善行為として、ミャンマーの子どもたちに無償で芸術教育をしている。あと数ヶ月もするとこの敷地に小さな児童に美術を教える教場が完成する予定である。

この学校予定地の向こうに孤児院がある。行ってみた。30人ぐらいの子どもたちが、もの珍しそうにこちらを見つめている。ちょうど夕飯の準備をしている時だった。ご飯がたけていた。ご飯の上には黒い粒がまかれていた。小豆入りのご飯か?と思ってカメラを近づけた。小豆と思っていた黒い粒が一斉に飛び立った。蝿だった。近くに児童向け美術学校ができたら、この孤児院の子どもたちもこの学校で絵の勉強を教えてもらうことになる。
    写真:左上、孤児院の寝室、 右下:小豆入りご飯

ヤンゴン3日目(7月14日、月曜日)。滞在最終日。午前中に、修道院が運営している孤児院で寄付を行うので来て欲しいと頼まれた。ミャンマーでは多くの寺院に孤児院が併設されている。寺院が運営しているので子どもたちは皆いがぐり頭である。男の子ばかりだ。

寄付するお金がテーブルの上に積まれた。1000チャット札の札束だ。千枚ぐらいの束になっている(日本円で10万円ぐらい)。私達からの寄付だと説明してくれた。10人ぐらいずつの稚児たちが私達の前にやってきて、横に並んだ。ぴょこ、ぴょこ、ぴょこと一斉に頭を3回づつ下げていった。最後は、全員揃っての記念撮影。子どもたちは、Vサインを斜め横に上げながら一斉に叫んだ。何と言ったのかと尋ねると、「うれしい!!!」と叫んでいたそうだ。

  





ヤンゴンでは、市内のあちこちに孤児院がある。戦争で親を亡くし行き場がなくなった子を引き受けるにしては、市内には孤児院の数が多い。日本に戻って、例のミャンマーの女性に聞いてみた。戦争で親を無くした子もいるに入るが、それは国境の近くの村に多いという。それよりも、ヤンゴンなどの都会では、親に捨てられた子や不本意にも産まざるをえない子が孤児院に身を寄せているのではないかとの推測を披露してくれた。ミャンマーでは、中絶が禁止されている。なんとなく合点がいった。

後発開発途上国では、地方の農村生活が近代化されるに従い、それまでの物々交換から現金化された生活が浸透してくる。土地を担保に借金し、都会に出て稼ごうとする農家が多くなる。しかし、事業はうまく行かず、借金も返せずに、土地はとりあげられる。都会で、そのままスラム民化してしまう。あるいは、国外へ逃亡をはかる。足でまといの子供は捨ててしまう。極貧生活が児童に売春を強要し、そのまま妊娠してしまうこともある。

それにしても、「孤児院」という言葉と縁遠くなったと感じた。ネットで調べると「孤児院」という言葉は、外国の施設については今でも訳語として慣用的に用いられているとある。しかし、日本では、はるか昔から、「孤児院」とは言わなくなっていた。昭和23年から法律によって「養護施設」、平成10年からは「児童養護施設」と呼ばれている。2,008年現在で569ヶ所の施設に30,695人が入所していると言う。日本では孤児そのものが少なくなったのだろうか。それとも、生まれる前に・・・・。
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