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FM北海道用放送原稿「世界のお菓子」

 昨日、和菓子を買って帰ったので自宅でも岡埜栄泉の和菓子が話題になり、それに関連したはずみで大昔FM北海道に頼まれて、「世界のお菓子」というお題で原稿を書いたことを思い出しました。自分としては結構良く書けた原稿だと思ったので、家族に見せたところやはり面白いと喜ばれた。もう20年以上も前になる1991年7月に書いた原稿ですが、大勢の方にも読んでもらいたく以下に掲げることにしました。米国のサンタクララ市の図書館などで調べて書いたもので、異説もありますが、ほぼこのお話が正当のようです。

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世界のお菓子

 コーネリアスーヴァンダービルト(Cornelius Vanderbilt)は、19世紀半ばに、アメリカ実業界に君臨した最初の大物で、アメリカの歴史をかじったことのある人なら誰でもが鉄道王として一度は耳にする名前です。しかし、アメリカ人の中でも、彼が50才代の後半にリゾート地として知られたニューヨーク州のサラトガ・スブリングスにあるムーンレイク・ロッジに足繁く通ったと言うことは、あまり知られていません。

 ある夜、ヴァンダービルトは、お気に入りのムーンレイクーロッジのレストランでフレンチフライを注文しました。フレンチ・フライといえば、今では、日本でもハンバーガー屋さんなどでおなじみとなっている食べ物ですが、150年前のアメリカでは、ほんのひと握りのいわばエリートの好む新しいフランス料理だったのです。

 ハイカラとして評判の高いこのレストンのコックは、名声を得ていたレストランとしては意外なことに、ジョージ・クラムと言うインド人で、まだ新米でした。料理学佼をでたばかりで経験が浅く、ジョージのレパートリーにフレンチフライがなかったためなのか、ヴァンダービルトの目の前にフレンチフライとして運ばれてきたジャガイモは期待していたものよりはるかにぶ厚くきられたものでした。その時は、ちょうどパリから戻ってきたばかりだったので、本物に対するこだわりがあったのかもしれません、あるいは、持ち前の強情な性格が出てきたのかもしねません。とにかく、ヴァンダービルトは、「本場フランスのフレンチフライはこんなにぶ厚くはない。」といってウェイターにお皿を突っ返したのです。

 しばらくして、今度は、先程よりも薄く切られたフレンチフライがテーブルに運ばれてきました。しかし、虫の居所が悪かったのでしょうか、ヴァンダービルトは「未だ、厚すぎる」と言って、再びフレンチフライの皿を突っ返したのです。2度もお皿を突き返されて、頭にきたのがコックのジョージです。お皿を前にして、ジョージの胸には怒りとも復讐とも言える反抗心に似た気持ちがムラムラと沸き立ってきます。「そっちがその気なら、こっちも受けて立とうじやねえか」。ジョージは、包丁をカミソリの刃のように鋭くとぎすまし、近くのジャガイモをぎゅっと握りしめるや、これで文句があるのかとばかりに、向こうが透けて見えるくらいに、薄く薄くスライスし始めたのです。そして、紙のように薄くスライスしたジャガイモを、沸騰した油の鍋の中に茶色くなるまでじっくりとつけ、さらに、「思いしれ」とばかりにそのコンガリと揚がったジャガイモにたっぷりと塩を振りかけたのです。できあがったジャガイモは、油で揚げすぎた、塩のふんだんにかかった、本場のフレンチフライにははるか程遠いものでした。

 しかも、ジョージは、調理窒のドアを開けるやいなや、はやてのごとくそのフレンチフライを自らテーブルに届けてしまったのです。あまりに一瞬のことだったので、ウェイターが止めにはいる余裕もありません。あわやお客の怒りが爆発すると思いきや、ヴァンダービルトは、あっさりとこれに0.K.を出したのです。本場ものとは程遠いサラトガのフレンチフライを本心から、気に入ってしまったのでした。

 あの大物のヴァンダービルトのお気に入りの食べ物ということで、このフレンチフライは、すぐにレストランの客寄せメニューとなり、ほどなく、このフレンチフライにありつけないお客も出てくるほどに地元で大評判となりました。そして、34年後の1887年までには、ホワイト・ハウスの料理メニューに、このフレンチフライの名が見られるようになりました。―世紀半が経過した現在では、ジョージの作ったこのアメリカ版フレンチフライは、アメリカのお菓子の代名詞とも言えるボップコーンの売り上げを上まわるほどになり、世界各国で販売され、文字どおり世界のお菓子になっています。

 1853年、ニューヨーク州サラトガスプリングスのムーンレイクロッジで、鉄道王コーネリアスー・ヴァンダービルトの本物へのこだわりと新米コック、ジョージ・クラムの反発によって生れた世界のお菓子、それは、「ポテト・チッブ」です。

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この原稿を書き終わった当時、わざわざサラトガスプリングスの市役所に電話をかけてみました。
こんな会話をしたことを覚えています。

私「もしもし、・・ポテトチップで有名なムーンレイクロッジはまだありますか?」
市役所「ムーンレイクロッジという名のホテルならまだあります。でも、ポテトチップのホテルは焼けて無くなってしまっているので、当時のままのホテルではないです。」

いつか行って見たい気がする。
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