恋愛成就のメールテクニック
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引越しました

ブログの容量がいっぱいになってしまったようです。
写真がアップロードできなくなってしまった。
無料コースだから容量制限があっても仕方がないです。

他のブログに引っ越すか検討したのですが、使い勝手をしっているので、引き続きFC2に居残って新たにブログを建てることにしました。
↓ここです。
http://light4you2nd.blog.fc2.com/page-0.html

お時間のある時にでも、覗いてみてください。 m(__)m
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イタリア旅行記 その9/11 ― ―ローマ市内観光 フォーロ・ロマーノ― ―

女性ガイドによる1対1のローマ市内ツアー。1日中二人でぶらぶらしながら話していると、旅行のガイドブックには乗ってないような、いろいろな面白い裏話も聞けた。
思い出すことができたことだけ書いてみると・・・・・

・イタリアの現状
イタリアは地理的に恵まれて、農業国でもある。酪農もできる。しかし、EUの枠内では生産量が制限されている。農家はこの生産制限に怒っている。この前イタリアの農家が取れ過ぎたワインと牛乳をスイスとの国境沿いにぶちまけると言う騒動があった。イタリアの国民の6割から7割は本心はEUからの離脱を望んでいる。
イタリア ローマ ケイさん DSC_2356

・公認ガイドの資格
イタリアで公認ツアーガイドになるのは難しい。ガイドになるための試験が毎年あるわけではない。数年に1度。毎回3000人ぐらいが受験する。合格者は200名弱。ガイドをしている人が資格を持っているか当局はちょくちょくチェックしている。ガイド認定者は認定カードを首からぶら下げている。これにはICが入っている。チェックしている人は観光場所でガイドしている人にそうっと近づく。機器にICから登録情報が送られてくればOK。何もなければ摘発される。
(写真→ケイさんがアイスコーヒーをごちそうしてくれた。さすがイタリア。おしゃれなアイスコーヒーだ。)
その日本人女性ガイド、ケイさんは父が日本人で母がカナダ人だった。高校2年の時に父親の仕事の関係でローマの高校に転入した。大学もローマの大学を出ていた。ガイド試験では420ある教会の中から3つの教会が選ばれ3枚のカードに書きとめられる。その3つのカードのうち引いたカードに書かれた教会について審査官の前で説明しなければいけない。その女性ガイドは、バチカンの教会にヤマを絞った。そのカードを引き当てた。山が当たったので、詳細にバチカンのことを説明したら審査官が聞き入っていた。最初は眠そうだった審査官も目を覚ましたように聞き入っていた。これで合格を確信したそうだ。

・フォーロ・ロマーノに飛ぶかもめ
カピトリーノ美術館脇の高台からフォーロ・ロマーノの遺跡全体を眺めていると目の前にカモメが飛んできた。人慣れしている。海が近いのかとガイドさんに聞いた。50kmぐらい離れているという。それほど離れていても最近どういうわけかかもめがローマにいついてしまったようだ。(帰国後確認してみたら、直線距離でローマ市内まで25kmぐらい。さいたま市は直線距離で海からは30kmぐらいだけどかもめは飛んでないな。)
その結果、何が起こったか?ガイドさんは、鳩が少なくなったと言う。カモメは雑食性である。他の鳥を丸呑みしてしまうことがある。野ネズミを襲っているところを見たそうだ。そう言えば、ヒッチコックの映画「鳥」では、カモメが群れをなして人間を襲おうとする場面が出てくる。

・フォーロ・ロマーノの巫女
フォーロ・ローマには神殿の聖火を守り監視する巫女が6人いた。その巫女には良家の子女が選抜された。処女であることが条件である。30年の任期中は、ずっと独身を通さなければいけない。一族にとっては名誉なことではある。しかし、処女でないことがばれたり、聖火のひがきえたりすると首まで埋められる罰にあった。やがて、巫女の候補になるとほどなく結婚してしまう女性が多くなって、候補者の年齢はどんどん下がっていった。(あれ?このへん、天皇家の状況と似てるね。)最後の方は10歳前後の巫女も現れた。
↓ 巫女の住居跡とその復元図
イタリア フォロローマ 巫女3 DSC_2356

・ブルータスよ、お前もか
フォーロ・ロマーノはシーザーが暗殺された場所である。シーザーを暗殺したブルータスは甥にあたる。ブルータスはこの上なくこの甥を可愛がっていた。ブルータスのお父さんはシーザーにとっては政敵であった。シーザーは、このお父さんを殺害した。元老院の中でシーザーの政敵は、直接シーザーを殺そうとはしなかった。父親を殺されたブルータスに復讐と言う形でシーザーの暗殺をけしかけた。シーザーにしてみれば、可愛がっていた甥に襲われたので、「ブルータスよ、お前もか」という言葉となる。

イタリア旅行記 その8/11 ――ローマーー

イタリア滞在最後の日はローマ終日自由観光。HISではオプショナルツアーとしてナポリ・ポンペイ1日観光とカプリ島の青の洞窟観光も用意されていた。参加者の半数近くがどちらかのオプションに参加し、残りはローマ市内観光。ローマは初めての私も、市内観光を選んだ。とは言え、初めてのローマ。ガイドブック片手に市内を歩くのは物騒だし、あまり効率が良くない。日本から事前に、Green line社のローマ市内1日観光に申し込んだ。136ユーロ(\16000ぐらい)。

宿泊したホテルは郊外にあるため、タクシーを呼んでもらって集合場所のグリーンラインツアーのオフィスへ。4月25日(火)、平日なのに市内に入っても道路は空いていた。渋滞は全くなく余裕で集合場所へ。

乗車した市内1日観光の大型バスはほぼ満席。私以外は全員が欧米人。英語による観光ツアー参加者でレシーバーを持ってのツアー。バスは混載。私は“ケイ”と名乗る中年女性が日本語ガイドとしてバスに乗り込んできた。たまたまこの日はこのツアーへの日本人申し込み者は一人であった。大型バスの最後部片隅にちょこんと座り、一対一でのガイドツアーとなった。

一対一でのガイドツアーは月に1回ぐらいの割合であるようだ。ローマは通勤時間帯でも渋滞が無いのかと聞いた。たまたま、今日、4月25日は祝日だからだとの返答。解放記念日だと言う。
私:「どこからの解放されたの?」
女性ガイド:「連合軍から。」
私:「あ、なんだ、終戦記念日ね。」
(帰国後、念のため調べたらイタリアの北部諸都市が1945年のこの日にドイツ軍から解放されたことを記念する日であった。
あれ?イタリアはドイツと組んで戦ったのにおかしいな?さらに調べると、イタリア南部はその2年前に連合国軍に陥落していた。つまり、この記念日は連合国側にたって、ムソリーニを助けていたドイツとファシストから北部を奪還したと言うことである。)イタリア ローマ トレビの泉 モデル2 DSC_2286

午前中は、トレビの泉やパンテオンの見学。トレビの泉は昨日も行っている。コインを投げると再び訪れることができるというので、昨日、1セント投げ込んだことを思い出した。なるほど、コインを投げた効果てきめん。トレビの泉では花嫁衣装を来たモデルが写真撮影をしていた。


トレビの泉の後はパンテオン。パンテオンは世紀前後にできた神殿。神殿と教会の違いはわかりますかと女性ガイド。ン?そう聞かれるとわかっているようで答えられない。答えは、神殿は神様(ローマのパンテオンはローマの神様、アテネのパルテのンはギリシャの神様)を祀っている。教会はキリストを祀っている。パンテオンの中央にはギリシャ神話の神々の中の神様と言われるゼウスの像が鎮座している。(たぶん、ギリシャから奪ってきたもの。)
そのゼウス像の左横の方に、(名前は忘れたが)美しい男性の象がある。ミケランジェロはホモだったので、この男性像がいたく気に入っていた。そして、フィレンツェのダビデ像の顔はその男性像を模写して制作している、これはミケランジェロが書いた記録に残っていると説明してくれた。

パンテオンの中で有名なのはラファエロのお墓。このお墓がどうしてそこにあるのか?もともとラファエロが希望したからだった。その次のような裏話が面白かった。

レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロとともにルネサンス3大巨匠のひとりと言われるラファエロは良家の育ちであった。教皇側はラファエロに安く壁画を描かせようとたくらんだ。ラファエロは良家の育ちなので高い描画代金は要求しなかった。その代わり、死んだらパンテオンに葬ってくれることを望んだ。教皇側は、それはお安い話、それまでにラファエロをこき使って絵をたくさん書かせようとの魂胆の下、了解した。ところが、ラファエロは37歳の若さで早死にしてしまった。(女遊びが過ぎたという話がある。)あてが狂った教皇側はラファエロの約束を守らず、パンテオンの隣に小さな塚を造って葬った。そして忘れ去られていた。

1870年12月28日にローマ市内が大洪水に見舞われた。水が引くとパンテオンの外側に石棺が現れた。ラファエロの名前が刻まれていた。本当にラファエロの棺?市は調査した。石棺の中には遺骨を包んでいたと思われる繊維の破片が見つかった。分析した結果、紫色の布であった。当時、紫の布を巻いて葬ったのは高貴の人だけ。ということで石棺はラファエロのものと認定され、その後にラファエロの希望通り、パンテオンの中に移されて今に至っている。

イタリア旅行記 その7/11 ― ―サンジミニャーノからローマへーー


イタリア旅行も残り2日。朝7:15分にホテルを出発。フィレンツェからローマに向かう。途中、塔の街として知られるサンジミニャーノへ寄る。ローマまでの道のりがバスで6時間ぐらいかかるので休憩を兼ねての立ち寄りです。
塔の街、何それ!と思う人が多いかもしれない。私は、偶然にもNHKのBS番組「ふれあい世界の街歩き」という番組のこの塔の街を見ていたので、少し興味があった。丘の上にある小さな街である。巡礼者がローマに行く途中で立ち寄ったのがこのまちのはじまりだ。交通の要所だった。ベローナよりも小じんまりとした街。この街へ入るには城壁の一部として残されている門から入る。石畳が続く。中世の街にタイムスリップした感じはする。街の中心部はユネスコの世界遺産に認定されている。
イタリア サンジミニャーノ EBP12-32788A 
(上の写真↑と下の写真2枚↓はいずれも阪急交通公社のウェブからの無断借用)

染料として珍重され、金のように高価だったサフランの生産地でもある。街の有力者たちは、サフランの取引と交易により莫大な富を築き上げた。そうなると、人間は馬鹿なんだね。大抵はお決まりの抗争が始まる。この街も、ベローナと同じで、13世紀や14世紀に皇帝派と教皇派が争っている。2派に分かれた街の有力者がその権力を誇示する象徴として競って住居を兼ねた塔を建てた。最も力と富を持つ者が最も高い塔を建てる。

最も多いときは72本の塔が立っていた。さすがに町の議会がもういい加減にしろよということになって、(今は市議会場などに使われている建物に隣接する塔の高さである)54m以上の高い塔を建てんじゃねぇーよと規制。んじゃぁー俺ん家はツゥインタワー建てちゃうもんね。2つ足すと俺ん家の方が高いもんねと言った具合。黒死病(ペスト)が流行して、街の人口が半減してしまってからは街も衰退。14世紀の黒死病と交通の要所としての役割が減り、その後街は衰退。72本あった塔も現在は14本。イタリア サン・ジミニャーノENR14-77518A イタリア サン・ジミニャーノ EBP08-14130A

この街でもう一つ有名なものとして、ジェラート(アイスクリーム)の世界コンテストで1位を取ったお店がある。その世界一おいしいとお墨付きのお店でジェラートを食べてみた。カップの大きさで値段が変わる。小さいカップで2.5ユーロ(\300)。大きので5ユーロ(\600)ぐらい。陳列されているジェラートから2種類選べる。日本のアイスクリームよりねっとりしたかんじ。やはり、期待が高かったせいか・・・・まあまあの味。世界の水準がわかってよかったと言うのが正直なところの感想。チョコレートはスイス、アイスクリームはロシアだ。

ローマ市に入ったのが14時過ぎ。大急ぎで昼食を終えて、バチカン美術館へ直行。ここも入場券売り場までは100mはゆうに超える長蛇の列。予め現地ガイドが入場券を用意しくれていた。館内は山手線のラッシュアワー時の駅の混雑ぶり。押すな押すなの状態。うっかりするとグループからはぐれてしまいそう。しかも、広いので歩くこと歩くこと。ツアー参加者の中から行き倒れの人が出るのではないかと思うほど。現地ガイドさんが言うには美術館内だけで一回の案内で8kmぐらい歩くこともあると言う。それでも、ミケランジェロが上を向きながら4年かけて天井へ描いた教会廊下の天井画やシスティーナ礼拝堂の壁画「最後の審判」は実物を見て想定した以上に素晴らしかった。

ラファエロの間は通り過ぎて、残念ながらラファエロの絵画は見られなかった。うーん、やっぱりもう一度だな。次の時は、通常の開始時間よりも30分早く入場できる特別ガイドツアーが現地の旅行業者が企画しているから、機会があるのであればそれを使うのが良いと思っている。残念ながらバチカン美術館はグーグルのアートプロジェクトには協力してない。ストリートビューでは見られない。

「最後の審判」は素晴らしいと言うよりも面白かったと言う感じかな。右下に描かれた儀典長に似せた似顔絵の話を事前に知ったのでここばかり見てしまった。有名な話のようなので知っている人も多いと思うけど、念の為、次のようなお話。この最後の審判のには裸体が多い。ミケランジェロからすれば天国だから衣服なぞ着てないと言うことなのかもしれない。儀典長からこの裸が多いと言う点を非難された。「着衣をさせよ」という勧告が出されたこともある。ミケランジェロはこれを怨んで、地獄の王と蛇に絡まれている人物の顔をこの自分の芸術を理解しなかった儀典長にそっくりに描いた。しかも、その人物の股間を蛇がかみついている。

イタリア 最後の審判2 Last_Judgement_(Michelangelo)

これに対してて儀典長が教皇に抗議したところ、教皇は「煉獄はともかく、地獄では私は何の権限も無い」と冗談交じりに受け流されたという。と言う訳で、その後何百年にわたり、この話とともに儀典長の顔はさらしものになっている。芸術家をいじめると怖いね。気をつけなくちゃ。裸の方はミケランジェロの死後、弟子が股間にベールを描いて覆っている。この弟子もかわいそうにその後は「ふんどし画家」とのあだ名で呼ばれていたようだ。

バチカン美術館は1時間少しで見学を済ます予定だったのだろうか。実際は大幅に遅れて2時間以上かかっての見学。美術館を出たのは18時過ぎ。この時期、日暮れが遅いのに救われた。その後、スペイン広場やトレビの泉も訪れてやっとホテルと言う強行軍。もうクタクタだったぜ。フーッ。

イタリア旅行記 その6/11  ーールネッサンスの中心地、フィレンツェーー

4日目はルネサンスの中心地、フィレンツェ市の観光である。朝8時前にホテルを出発。まずは、フィレンツェ市内を一望できるミケランジェロ広場へ向かう。フィレンツェは市のシンボルはやはりドォーモ。メディチ家のお膝元。市街を一望した後は、メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵するウフィツィ美術館へ。
ここも、入場券を買うには長い長い行列。今回は事前に現地ガイドが入場券を購入していてくれた。ほとんど並ぶこと無く手荷物検査へ。空港並の手荷物検査を受ける。
ウフィツィ美術館はイタリアルネサンス絵画の宝庫と言われる。教科書でおなじみのボッティチェリの「春」(写真左)と「ヴィーナスの誕生」(写真右)も展示されている↓。この2つの絵画の前は黒山のひとだかり。この他にも「聖母子と二天使」とかレオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」、ミケランジェロの「聖家族」とかがあったみたいです。
イタリア 春 Botticelli-primavera イタリア ビーナスの誕生 birth

なんせ、あんな広い美術館を1時間で回ってしまうツアー。ちょこっと見て「ハイ次」という具合です。鑑賞というよりも、お目当ての絵画の前で一旦停止して、通り過ぎるという感じ。ゆっくり鑑賞していたら1日かかってしまう。
話はそれますが、Googleのストリートビューってすごいね。こんな感じ↓
グーグル アート プロジェクト ウフィツィー美術館
ストリートビューで美術館内も巡回できるとは今まで知らなかった。(記憶が正しければ、私が見たときは、この2つの絵画は現在は別々の部屋に展示されていた。)

美術館の見学後はドォーモとシニョリーア広場へ。フィレンツェ観光では定番の場所です。午後は自由行動。HISは午後からピサの斜塔を行くオプションツアーも用意していた。添乗員は、現在乗車中のバスがそのままピサまで連れて行くと案内していた。HISはバスを1日チャーターしていたはずだからオプションツアーでの追加料金はまるまるHISの儲けとなる仕組みだ。商売がお上手。42名中8名がこのオプションでピサの斜塔見学へ行ったようだ。

私は、せっかく来たのだからフィレンツェ市内を見て回る方を選択。とは言うものの、案内人がいない。市内を一人でブラブラしても面白くない。というわけで、事前に、日本からセグウェイに乗って市内をめぐるツアーを申し込んでいた。75ユーロ(¥9000円ぐらい)。一度セグウェイに乗ってみたかったということもある。

14:30からセグウェイツアー出発。セグウェイに乗るのは初めて。米国のユタ州から来た若いカップルと一緒になった。2週間かけてイタリア観光しているという。ガイドを含めて4人でのセグウェイ市内観光ツアーとなった。ツアー出発前に、セグウェイの乗り方の個人指導。セグウェイは重心を移すことによって前後左右に動く。誰でも、2~3分乗り回せば、すぐに要領がつかめる。市内のあちこちを4台のセグウェイが列を組んで走る。なかなか気持ちが良い。イタリアではセグウェイは公道を走れる。とは言うものの、結構珍しい。セグウェイで走っていくと皆視線を向けてくる。イタリア セグウェイ乗車 本人

駆け足程度の速さで市内を回れるので、HISの徒歩ツアーでは行かなかったダビデの家や子豚の噴水なども案内された。行く先々でセグウェイを一旦止め、現地ガイドが詳しく説明してくれる。ただし英語で・・・・。流暢な英語だったので、3分の1ぐらいしか理解できなかったが、3年前にも洪水があったが、最もひどかったのが1966年の洪水だったことなど大まかなことは聞き取れた。その時は市内のかなりの部分が2階の高さぐらいまで水浸しになったそうだ。

川の反対側にサンスピリッツ教会がある。この教会には、フィレンツでは神様のように扱われているミケランジェロは夜な夜な通ったそうだ。何のために?死体を解剖するためだった。死体解剖の時に使っていたろうそくが倒れ、その教会は火事を出した。こういう話は日本人ガイドからは聞けない。ミケランジェロは人間、ことに男の肉体美に興味があったと聞く。それにしても、夜な夜な死体の解剖となるとちょっとゾットする話だ。イタリア サンスピリッツ(写真の奥がサンスピリッツ教会)

セグウェイツアーは約3時間の市内ツアー。17:30分に終了。帰りの集合時間はピサの斜塔見学組にあわせて19:00と少し時間がある。お土産も買わなくてはと言うことで、世界一古い薬局、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局に行き、石鹸を買うことにした。
1200年代にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のドメニコ修道会の修道士達が耕していた畑で薬草を栽培し、修道院の小さな医務室で使う為の薬、香油や軟膏などの調合を始めたことが起源だと言うから、メチャクチャ古い。ハーブ薬局です。いろいろな香りの石鹸がある。どれも日本人にとっては強烈と思えるような香り。香りのうすい石鹸を選んで16個まとめ買い。1個10ユーロ(¥1200円ぐらい)の石鹸です。高いです。
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